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2008.11/17 [Mon]
向田邦子著 「 字のないはがき 」
今はお亡くなりになられておりますが、学生時代の頃より何冊も何冊も本を読んでいました。
私くらいの世代の方々には馴染みが薄いのかもしれませんが、昭和の時代の良いところ悪いところ。。。
私は体験も経験もしていないことが多々ありますが、読んでいると引き込まれてしまいあたかもそこの場面に居るようです。
今では子供の中学校の国語の教科書にも載っているのです。
教科書を読み私はボロボロと涙をこぼしてしまいました。
私が今中学生ではなくてよかったと思います。
なぜなら毎回のように泣いてしまうから。
授業になりませんよね^^;
「 字のないはがき 」(クリックしてください)
↑こちらには教科書に載っている文章がそのまま載っています。
私の涙を誘ったところを抜粋してみました。
ー・−・−・−・−・ ここから −・−・−・−・−・−・
妹の出発が決まると、暗幕を垂らした暗い電灯の下で、母は当時貴重品になっていたキャラコで肌着を縫って名札を付け、父はおびただしいはがきにきちょうめんな筆で自分あてのあて名を書いた。
「元気な日はマルを書いて、毎日一枚ずつポストに入れなさい。」
と言ってきかせた。妹は、まだ字が書けなかった。
あて名だけ書かれたかさ高なはがきの束をリュックサックに入れ、雑炊用のどんぶりを抱えて、妹は遠足にでも行くようにはしゃいで出かけていった。
一週間ほどで、初めてのはがきが着いた。紙いっぱいはみ出すほどの、威勢のいい赤鉛筆の大マルである。付き添って行った人の話では、地元婦人会が赤飯やぼた餅を振る舞って歓迎してくださったとかで、かぼちゃの茎まで食べていた東京に比べれば大マルにちがいなかった。
ところが、次の日からマルは急激に小さくなっていった。情けない黒鉛筆の小マルは、ついにバツに変わった。
ー・−・−・−・ ここまで −・−・−・−・−・−・−
小学校1年生の妹が疎開する際に、お父さんは宛名の書いた葉書を持たせました。
文字が書けないので、無事に過ごせたら ○ を書くようにと持たせたのです。
その○がだんだんと小さくなり。。。
× になったのです。
小さな子供でも我慢します。
この後に妹さんは病気になり、家に戻りますが。。。
そこでも声を上げて泣いてしまいました。
たくさんの著書があり、今ではお姉さまのことを偲んで妹の和子さんが本を出版されています。
お写真を見ていただきますと本当にお綺麗な方でしょう?
向田邦子さん。
戦後で物の無い時代。
洋服も野暮ったいものばかりだということで、服のほとんどを手作りしてたそうです。
そういうことも私の憧れる要因だと思います。
焼き物が好きで、お茶碗集めなどもされてたとのこと。
もっともっと好きになりました。
本屋さんや図書館に通いまた読み直してみたいなぁと思いました。
やりたいことがたくさんありすぎてどれからするべきなのか??
本当に迷います^−^
お写真掲載につきまして、注意を受けましたので削除させていただきました。
平成21年 5月18日



まだこれからだという時期に・・・。たくさんの本を書かれてましたよね♪
その程度しかわかりませんが、いろんな意味で残念ですね。